意図すら自動かもしれない件 (仮説)
なんというか、ここ最近認識が色々と変わって
きてて、
『意図すら必要ないかもね』
という考えにすら至りつつある。
で、いきなり矛盾するようなことを
書くのだけれども、
意図はしてもいい。
なぜなら、その意図ってのは自動的だとも
言えるからだ。
色んな願望や望みは「ある」から思い浮かぶ。
この宇宙には無限バージョンの自分がいるから。
だから、こうしたいなって望みが浮かんできたら、
「こうなります♪」
って宣言(意図)して、
あとは楽しく遊んで過ごしていればいい。
そもそもその願いだって、なぜ無限の可能性の中
からそれが思い浮かんだんだろう?
って考えたら、ある種 必然のような感覚さえ
浮かんでくる。
選ばされている、というか。
あるから思うのだし、もうそれはあなたのものだ。
だから、何か願望が浮かんだら「こうなりたい!」
って素直に思って、
あとの時間は楽しく遊んで、
そうしている間にも豊かさはバンバン来るし、
喜んで味わえばよいのだと思う。
でも、意図しなきゃ宇宙は認識してくれない、
ってことはない。
宇宙はあなたの好みから何からなんでもお見通し
だし、想像以上の素敵なことだってしょっちゅう
起こしてくれる。
わたしたちは、喜んでそれを受け取っていれば
いいのだ。
そこに「いいものもらったからお返ししなきゃ…」
なんて変な義務感はいらない。
わたしたちが喜べば、それは宇宙全体の喜び
なのだ。
だから、意図してもいいし意図しなくてもいい。
気の向くままに、心地よいように。
要は普通に過ごすってことだね。
って、まとめたらこの一行になってしまった(笑)